2009年4月4日土曜日

蒸汽机车


  中国語では蒸気機関車は蒸汽机车と言います。現在でも中国のあちこちで活躍しています。

 と言いましても、国鉄線からは2005年に姿を消しています。現在残っているのは、私鉄線用と工場の入れ替え用の二種類です。あまり数は多くはありません。ただし、中国は広い国ですので、あちらこちらにひっそりと残って、活動しているようです。


  2008年の北京オリンピックを前にして、政府は蒸気機関車全廃を宣言しました。蒸気機関車は急速に姿を消しています。そして、2008年の秋、政府は改めて蒸気機関車の全廃を指示したようですが、今なお、工場ではひそかに使っています。


 上の写真もその一つで、50輌もの貨車を牽引して西安市内を走っています。ただし、表向きは禁止されているものですから、写真を撮るととてもうるさいです。怒られます。中国では、鉄道施設は一応、軍事施設なので、駅などで列車の写真を撮ると駅員が制止してきます(ただし、駅員の気分によります)。


 なぜ、禁止されたのに、工場では蒸気機関車を内燃機車(ディーゼル機関車)に替えないかというと、単に工場に余裕がないからだそうです。なにしろ、ディーゼル車の値段は蒸気機関車の倍近くするそうなのです。


 中国でなぜ蒸気機関車がこんなに長く使われた(日本では、製造は60年前に停止、使用は30年前に停止)のかというと、石炭が豊富だったから、平坦な土地が多いから(日本は山ばかりで勾配が多い。蒸気機関車は勾配が苦手です)、人手はいくらでもあること(蒸気機関車は人手がかかる)など、さまざまな理由があるそうです。


 写真の蒸気機関車は、上游型と言いまして、古めかしく見えますが、なんと34歳くらいです。まだまだ若いです。上游型は南満洲鉄道のミカロ型をもとに1960年に設計された機関車で、1996年まで製造されました。つまり、まだ12歳の蒸気機関車もいるわけで、蒸気機関車は古いもの、という感覚のわたしから見ると、とても変な感じがします。


 西安で初めて、ぼろぼろの蒸気機関車が派手な音を立ててやってきたのを見た時は、とても驚きました。初めて見た、生きた蒸気機関車に感動すら覚えました(しゅうしゅうと息を吐いているようで、まるで生き物のように見えます)。なにしろ、子供の頃は『機関車トーマス』を愛読していたのですから。


 でも、頭の上に降って来た石炭のかすを払った時、二十年前の神戸で、動いている中国の蒸気機関車を見たことがあるのを思い出しました。その時も、髪の毛が石炭かすだらけになりました。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌではありませんが・・・


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