また、西安のバスはとにかく混んでいます。時間によっては空いていますが、とにかく人口の多い国ですから、空気輸送のようにがらがらに空いているということはあまりありません。
2009年4月30日木曜日
公交车
また、西安のバスはとにかく混んでいます。時間によっては空いていますが、とにかく人口の多い国ですから、空気輸送のようにがらがらに空いているということはあまりありません。
2009年4月29日水曜日
2009年4月26日日曜日
かえる号
2009年4月23日木曜日
また上游1072
2009年4月19日日曜日
温馨提示
2009年4月18日土曜日
菊花茶
2009年4月17日金曜日
蹦蹦车
2009年4月16日木曜日
上游1072
上游1072も同様の問題に直面していまして、専門の修理工に診断してもらったところ、部品を交換するしかなく、部品が調達できない以上、引退するしかないだろうということです。
2009年4月6日月曜日
ろばとぶた
2009年4月5日日曜日
但願人長久
明月幾時有
把酒問靑天
不知天上宮闕
今夕是何年
我欲乘風歸去
唯恐瓊樓玉宇
高處不勝寒
起舞弄淸影
何似在人間
轉朱閣低綺戸照無眠
不應有恨何事長向別時圓
人有悲歡離合
月有陰晴圓缺
此事古難全
但願人長久
千里共嬋娟
これは、蘇軾(1036-1101)の詩です。この詩に曲をつけて、鄧麗君が歌っています。とても美しい歌です。
九百年前の詩に曲をつけるなどとは、実に浪漫的なことです。日本語ではあまりに古風なものとなってしまうので、きっと無理でしょう。万葉集などに曲をつけても、冗談のようなものになってしまうでしょう。残念です。もっとも、軍歌「海行かば」は、大伴家持の歌に曲をつけたものですが。
テレサ・テンの死後、この歌は、王菲(フェイ・ウォン)が歌っています。
安妮宝贝の『告别薇安』(さよなら、ヴィヴィアン)という小説がありますが、そこで出てくる娟生という女の子がこの曲を聴いています。 主人公の女性は一緒に聴いているのですが、聴くのがつらいと言います。
这样哀怨的靡靡之音,苏轼的词在王菲的唱腔里让人听着难受。
娟生はその後、自殺します。突然の死に、読者も戸惑います(あれ、言わなかったほうが良かったかもしれません)。
『素念锦时』より
記憶とはこんなものではないだろうか。それは、川の流れのようなものではないだろうか。途切れることはないが、始めがあって、そして終わりがある。記憶が湧き出る泉は枯れることはない。始めがあり終わりがあり、根源は枯れることがない。
故郷へは再び帰ることはできない。わたしのふるさとと家族の記憶は、父が不要の領収証や紙のたぐいを貯めこむのと同じようなものだ。もう再び生まれることはない文字の記録、映像のありか、感情の幻像なのだ。
それらは、ただ存在するものなのだ。時が過ぎることで、互いの理解は深まり、互いが照らしあうことができる。そして、人の寂しさは増してゆくのだ。
記憶はまた時に、むなしく定まらないものだ。まだらに交錯しているものなのだ。それは、わたしを故郷と子供時代にさかのぼらせる。でも、物はすでになく、人もいない。もう根っこは失われてしまったのだ。
それは、大海にただよう動けなくなった廃船のようなもの。にぎやかで、はなやかだが、しだいに沈んでゆくものなのだ。ほんとうに、もう求める方法はないのだ。自分の家の表札は覚えているのに、当のその家はすでに壊されてなくなっているようなものなのだ。
その時、ただ一つだけあるのは、真の記憶の虚空だけである。
西安方言
肉夹馍と凉皮
凉皮は本当は唐辛子をかけるので、真っ赤な麺になりますが、わたしは辛すぎるものは苦手なのでかけません。陝西省の人は、辛くない食事、肉のない食事はとてもつまらないものと感じるそうです。
肉夹馍はもともとは「肉夹于馍」と言ったそうです。肉を馍(パンのようなもの)にはさむ、という意味です。肉夹馍だと、肉が馍をはさむ、という意味になってしまい、本当はおかしいのです。
それはそうと、中国を南北に分ければ北に位置する西安は、上記の料理を見ても、米文化の土地ではないことが分かります。先日、湖北省(南に位置します)の料理をたべましたが、もち米がおいしかったです。小麦も良いのですが、時折、おいしいお米が懐かしくなります。
无轨电车
日本には、富山県の黒部ダム(石原裕次郎の映画『黒部の太陽』で有名なあのダムです)にトロリーバスが今も走っているそうです。昭和四十年代までは東京や京都などの各都市で走っていたそうです。排気がないので環境に良いし、他の車の邪魔にもならないし、なぜなくなってしまったのか分かりませんが、架線などの設備のいらない自動車の方が何かと「合理的」なのでしょう。
中国では、北京、上海などいくつかの都市で、トロリーバスが走っています。中国名物だといってよいでしょう。
西安にもトロリーバスが走っていました。つい2009年1月までです。
西安では、現在、地下鉄の工事が進められています。目下、西安には一本の地下鉄もありません。地下鉄は2013年開業とのことですが、なにか外部の促進要因がない限り、もっとずるずると開業日は伸びそうです。
この地下鉄工事の邪魔になるということで、トロリーバスは暂时停运(一時運休)ということになりました。数年後に復活の予定です。
ただ、車輌はすでに古いものですし、数年放置した架線などの設備を復旧させる費用は馬鹿にならないでしょう。と言うことで、公式見解では「復活」なのですが、なくなる可能性が強いと思われます。
触覚のようなものをふりふりと降りながら走っているトロリーバスの姿が結構好きだったのですが、当分見ることはなさそうで、残念です。ただ、地下鉄のためなら仕方がないかもしれません。西安のバスの慢性的な混雑が、地下鉄によってほんの少しは改善されると思うからです。
2009年4月4日土曜日
蒸汽机车
中国語では蒸気機関車は蒸汽机车と言います。現在でも中国のあちこちで活躍しています。
と言いましても、国鉄線からは2005年に姿を消しています。現在残っているのは、私鉄線用と工場の入れ替え用の二種類です。あまり数は多くはありません。ただし、中国は広い国ですので、あちらこちらにひっそりと残って、活動しているようです。
2008年の北京オリンピックを前にして、政府は蒸気機関車全廃を宣言しました。蒸気機関車は急速に姿を消しています。そして、2008年の秋、政府は改めて蒸気機関車の全廃を指示したようですが、今なお、工場ではひそかに使っています。
上の写真もその一つで、50輌もの貨車を牽引して西安市内を走っています。ただし、表向きは禁止されているものですから、写真を撮るととてもうるさいです。怒られます。中国では、鉄道施設は一応、軍事施設なので、駅などで列車の写真を撮ると駅員が制止してきます(ただし、駅員の気分によります)。
なぜ、禁止されたのに、工場では蒸気機関車を内燃機車(ディーゼル機関車)に替えないかというと、単に工場に余裕がないからだそうです。なにしろ、ディーゼル車の値段は蒸気機関車の倍近くするそうなのです。
中国でなぜ蒸気機関車がこんなに長く使われた(日本では、製造は60年前に停止、使用は30年前に停止)のかというと、石炭が豊富だったから、平坦な土地が多いから(日本は山ばかりで勾配が多い。蒸気機関車は勾配が苦手です)、人手はいくらでもあること(蒸気機関車は人手がかかる)など、さまざまな理由があるそうです。
写真の蒸気機関車は、上游型と言いまして、古めかしく見えますが、なんと34歳くらいです。まだまだ若いです。上游型は南満洲鉄道のミカロ型をもとに1960年に設計された機関車で、1996年まで製造されました。つまり、まだ12歳の蒸気機関車もいるわけで、蒸気機関車は古いもの、という感覚のわたしから見ると、とても変な感じがします。
西安で初めて、ぼろぼろの蒸気機関車が派手な音を立ててやってきたのを見た時は、とても驚きました。初めて見た、生きた蒸気機関車に感動すら覚えました(しゅうしゅうと息を吐いているようで、まるで生き物のように見えます)。なにしろ、子供の頃は『機関車トーマス』を愛読していたのですから。
でも、頭の上に降って来た石炭のかすを払った時、二十年前の神戸で、動いている中国の蒸気機関車を見たことがあるのを思い出しました。その時も、髪の毛が石炭かすだらけになりました。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌではありませんが・・・
电影「活着」
中国映画「活着」(生きている)をみました。監督は张艺谋(チャン・イーモウ)、主演は葛优、巩俐(鞏俐)です。1994年の映画です。
映画は余华(現代中国の有名作家)の小説『活着』が原作で、1940年代から文化大革命後までの一家族の波乱に満ちた生活を描いたものです。主演の葛優は「非诚无扰」(2008年)の主演でもあり、喜劇俳優としてとても有名です。
映画には〈皮影〉が登場します。皮影とは影絵のことで、牛の皮で作った人形を操って、その後ろから光を照らし、幕に人形の影を映します。インドネシアにもワヤンという似たような影絵があります。陝西省が発祥の地です。
この映画は、公開後すぐに映画館での放映は禁止になりました。文化大革命の悲劇を存分に描いているからでしょう。ただ、現在は政府が禁止してもインターネットで簡単に見られますから、ある意味、良い時代になりました。十年以上前の映画ですが、多くの若者がこの映画を見ているようです。
また、禁止の理由は、この映画の悲惨さにもあるでしょう。次から次へと襲い来る悲劇に、見ていてつらくなるほどです。文化大革命の悲劇を描いた映画はいろいろありますが、今思いつくのは『霸王别姬』に、『末代皇帝』です(後者は、文革については浅くしか描いていない『The Last Emperor』ではありません。中国製作の映画です)。
文化大革命の悲劇の傷痕は、もはや表面に出ることはあまりありませんが、いまなお消えずに残っているものです。香港のテレビ局が被害者の親族からインタビューをとった番組を制作していますし、文化大革命の具体的な惨事を記録した本もありますが、日中戦争の悲劇と同じく、大多数の悲劇は当事者の心の痛みにとどまって消え去ってゆくものなのでしょう。したがって、こういった映画を藉りて思いを致すことには大きな意味があると思います。