2009年4月30日木曜日

公交车


 西安には地下鉄がありませんから(さらに、鉄道は長距離しか事実上利用できない)、移動手段はバスかタクシーということになります。

 バスは女車掌が乗っているバスと、ワンマンバスの二種類あります。前者は距離によって運賃が異なりますが、5角(8円)から2元5角(40円)くらいでしょうか。後者は均一運賃で1元(16円)ですが、こちらはバスカードが使えるバスが多く、それだと5角になります。

 わたしは残念ながら、バスは苦手で、列車のほうが好きです。バスはとにかくよく揺れるし、ガソリンの独特の臭気も苦手です。たとえ退屈しても、車酔いしますので本が読めません。

 椅子はプラスチックで固く(運転手と車掌の椅子は布張りです。彼らは一日乗っているのですから当然ですが、日本ではできないことでしょう)、座り心地はよくありません。車内灯もありません。夜は外の明かりだけで真っ暗です。

 そして、西安市の車の運転は非常に乱暴ですから、無茶苦茶な車の割り込みに会うたびに、バスは急停車します。これは、上海や北京のバスではありえないことだそうです。

 また、西安のバスはとにかく混んでいます。時間によっては空いていますが、とにかく人口の多い国ですから、空気輸送のようにがらがらに空いているということはあまりありません。

 そして、冷房・暖房車はほんの一部で、ごく一部の路線に限られています。空調付ということで、こちらは料金も倍額です。ですから、夏は非常に暑く、冬は非常に寒いのです。通気の悪い構造なので、夏は窓を開けてもとても暑く、扉が壊れているバスが多いので、冬になるとそこから冷たい風が進入します。

 いつも混んでいて、妙な臭気が漂うこともある西安のバスですが、さらに掏摸(スリ)もとても多く、わたしの知人で被害にあった人は数知れません。スリは鞄や服を鋭利な刃物で切って、実に素早く巧妙に高そうな物品や財布を盗んでゆきます。

 ということなので、慣れない方には決してお勧めできない移動手段です。早く、地下鉄ができないかと思います。

 さんざん西安のバスの悪口を言いましたが、とてもお世話になっています。

2009年4月29日水曜日

钟楼 鐘樓


  西安を代表する建築物の一つである钟楼(鐘楼)の写真です。下はその周辺です。右下の変な形の平べったい建物は、星巴克(スターバックス)です。こちらは喫茶店の珈琲の値段が、日本に比べて非常に高いので(一杯の値段が一回の外食費の二倍以上します)、いまだにスターバックスには入ったことがありません。

2009年4月26日日曜日

かえる号




 高速で走っているものを撮影するのは苦手なので、あまりよい写真ではありませんが、かえる号です。わたしは内燃機関車や電気機関車、そして電車には、蒸気機関車ほどの魅力は感じませんが、このかえる号の顔は愛嬌があって好きです。

 かえる号は東風4B型という内燃機関車で、1969年に試作されて、1974年より製造が開始されました。中国全土に何百ものたくさんの仲間がいて、客運や貨物の牽引に当たっています。


 かえる号の駆動装置ですが、ディーゼルエンジンを搭載して、それで発電機を回して電気を拵えて、その電気で発動機を回すという手間のかかった方法をとっています。電気式ディーゼル機関車というそうですが、台湾やフランスの内燃機関車も同じ方法を取っているようです。

 かえる号の色は三種類です。上から「西瓜」、「武警」(武装警察)、「蜜柑」とあだ名がついています。なお、かえる号という名は、わたしが勝手につけたものです。 色と言い顔と言い、わたしのすきなかえるに似ています。

 わたしは西瓜色が一番好みです。 心なしか、写真が一番ましなのも西瓜色のもので、愛情がそこにあるからでしょう。

 《周漁的火车》という映画があります。巩琍が主演で、二役をこなしています。この映画には、かえる号はとってもたくさん出てきます。ですから、気に入っています。

2009年4月23日木曜日

玉衣金連と茉莉仙女 


お湯を入れると花開く、美しいお茶をのみました。上から「玉衣金連」と「茉莉仙女」です。

また上游1072


  上游1072 にまた会いに行ってきました。元気に走っていました。日本では1980年代ごろから急速に鉄道貨物が衰退して、小貨物のほとんどすべては道路輸送になりましたが、中国では今も鉄道貨物輸送が王道で、町のいたるところに引込み線が走っています(もっとも、中国でもかつてよりは鉄道貨物は減っているようです。道路整備が進んだからでしょう)。
 
 引込み線では、貨車の入れ替えをしているディーゼル機関車の姿が見られます。入れ替えの度に、道路が封鎖されて、自動車は立ち往生です。入れ替えは結構時間がかかります。その間、長々と封鎖してしまうので、大混雑になります。 
 
 これは引込み線に限っての話です。鉄道本線は道路と平面交差しないように設計されているので、本線の踏み切りで車が立ち往生して苛々させられるという日本によくある光景は、中国には少ないかもしれません。また、日本ほど本数もありません。日本全国の列車数は中国のそれより多いそうです。

2009年4月19日日曜日

温馨提示


  先月、急に休みになりまして、汽車に乗って旅行にでも出掛けようかと思いまして、西安駅に行きましたら、切符売り場には50m以上の長蛇の列が十本以上できていました。なんとも悪夢の光景です。一時間以上並んだ結果、切符はないと言われる可能性も高そうです。そして、こんな時の切符売り場の駅員はたいそう機嫌が悪いものです。

 とても切符など買えそうにない状況なので旅行はやめまして、しばらく呆然として佇んでおりましたが、売店の横になにか掲示があるのに気づきました。

 近寄ってみると、なんともスプラッタな女の顔写真で、死人のようでした。 どうやら警察の掲示のようで、招待所という、名前だけ立派な最下層ホテル(中国のホテルの区分ですが、招待所→賓館→飯店と名前が安っぽくなるにしたがって、実は高級化してゆきます)で変死した18-35歳の女性の死後の写真のようです。
 
 大変合理的な捜索方法ではありますが、あまりよい感じは受けません。身元が早くわかることを祈りつつ、少し意気消沈して自宅に帰り、一日腐っておりました。
 
 さすがに上の掲示の写真は撮らなかったので、代わりに掲示の写真を載せておきました。上の写真はどこにあったものかおわかりでしょうか?

2009年4月18日土曜日

菊花茶




 先日、外で飲んだ菊花茶がきれいで、おいしかったので、ぜひ家でも飲みたいと思って、今日は買いにゆきました。軽工市場というところで、雑貨やお茶のお店がたくさんあります。
 菊花茶は一両十元でした。一両は中国の単位で、十両=一斤=500グラムです。最初は慣れなくて戸惑いましたが、ビスケットの量り売りも、栗の量り売りもみなこの単位を使います。何グラムという単位はまったく通じません。

 菊花茶の葉は菊の花を干しただけのもので、とてもお茶の葉には見えません(だからこそ、気持ちが悪くて、買う気がしなかったのですが)。しわしわにしぼんだ薄汚い感じの枯れ花です。
 ところが、これにお湯を注ぐと、花がぱっと開いて、とても美しいのです。そして、味もほんのりと甘く、色もうっすらと黄色で、とてもよい味です。

 写真は沈香花茶を少し混ぜてしまったので、本来の菊花茶ではありませんが、開いた菊花の美しさは伝わるのではないかと思います。

2009年4月17日金曜日

蹦蹦车


  今日は鲸鱼沟に行ってきました。鯨の形をした湖で、西安市の東南部にあります。菜の花(中国語では「油花」)に囲まれた、とても美しい湖でした。周囲の農家のたたずまいも見ていて面白いです。
 バスで途中まで行き、蹦蹦车(bengbengche)に乗り換えて、湖までゆきました。蹦蹦车はオートバイを三輪にして客室をつけた車で、西安市内のあちこちで走っています。ただ、繁華街では一部の場所でしか走っていません。
 
 四人乗りや六人乗りの車があります。運賃は交渉制です。乗り心地はとてもよいと言えるものではありません。道に段差があると、振り落とされそうになります。
 
 タイヤも自転車を少しましにした程度で、過重量でこきつかわれていますから、パンクもしばしばです。目の前で蹦蹦车がパンクしたのをみたことがあります。
 性能も原付オートバイ程度なので、坂に弱く、段差を超えられないこともありました。そういう時は、客は降りて、一緒に車を押します。と言うか、今回がそうでした。
 結局、坂を越えられなくて、途中から歩くことになりました。やれやれですが、車の荷台に載っているようで開放的で、とっても楽しい乗り物です。ぶるぶるとエンジンのやかましい音を立てながら必死に走る風情もなかなかよいものです。

2009年4月16日木曜日

上游1072





西安市内で唯一残っている蒸気機関車を見てきました。上游1072号という名前です。

上游とは先進、先頭、先陣というような意味です。現在、中国で残っている蒸気機関車は、軽便用を除くと、前進型、建設型、上游型の三種類があります。前進型と建設型は本線用の大型機関車で、もうそれほど残っていないようですが、上游型は支線用の便利な小型機関車(といっても、日本の機関車に比べれば大きな機関車ですが)なので、各地に比較的たくさん残っているようです。

陝西日報によると、蒸気機関車の生産が十年前に終わったために、困ったことが起きているそうです。それは、現在、活動している蒸気機関車が故障した時、交換部品の調達が非常に困難になってしまったことだそうです。

上游1072も同様の問題に直面していまして、専門の修理工に診断してもらったところ、部品を交換するしかなく、部品が調達できない以上、引退するしかないだろうということです。
上游1072は1975年生まれで、蒸気機関車の設計寿命は40年とのことです。 最近、中国各地での蒸気機関車の廃車が加速度的に進んでいますが、以前書いたような事情に加えて、故障の問題もあるようです。

ということで、上游1072は残念ながら引退が決まったようなのですが、動けなくなったわけではなく、常用に耐えなくなりつつあるということのようです。引退後は観光用に100万元(1500-1600万円)で購入したいという人がいるそうです。とは言え、そこは中国のことですから、どうなるか分かりません。現在、中国には観光鉄道といったものはほとんどないに等しいのです。

引退の時は遠くないかもしれませんが、西安市最後の蒸気機関車となった上游1072は、もくもくとけむりをはきながら、今日も西安市内を走っています。

2009年4月6日月曜日

ろばとぶた


小ろばがお母さんろばに聞きました。

愚人節(四月馬鹿)はまだなのに、誰かがいやなメールをくれたよ。お返事した方がいい?

お母さんろばは言いました。

だまされてはだめ。ぶたさんなら返事するでしょ。ろばはしないのよ。

 こんな小噺を聞きました。

 意味が分かりませんでした。分かりますか?

 ろばとぶたは馬鹿代表なのだそうですね。この話の意味が分からなかった私は、一番の馬鹿ということになるでしょうか。

 そして、先日の愚人节ですが、さっそく騙されました。やれやれです。


2009年4月5日日曜日

但願人長久


但願人長久

明月幾時有
把酒問靑天
不知天上宮闕
今夕是何年

我欲乘風歸去
唯恐瓊樓玉宇

高處不勝寒
起舞弄淸影
何似在人間

轉朱閣低綺戸照無眠
不應有恨何事長向別時圓

人有悲歡離合
月有陰晴圓缺
此事古難全
但願人長久
千里共嬋娟


 これは、蘇軾(1036-1101)の詩です。この詩に曲をつけて、鄧麗君が歌っています。とても美しい歌です。

 九百年前の詩に曲をつけるなどとは、実に浪漫的なことです。日本語ではあまりに古風なものとなってしまうので、きっと無理でしょう。万葉集などに曲をつけても、冗談のようなものになってしまうでしょう。残念です。もっとも、軍歌「海行かば」は、大伴家持の歌に曲をつけたものですが。

  テレサ・テンの死後、この歌は、王菲(フェイ・ウォン)が歌っています。

 安妮宝贝の『告别薇安』(さよなら、ヴィヴィアン)という小説がありますが、そこで出てくる娟生という女の子がこの曲を聴いています。 主人公の女性は一緒に聴いているのですが、聴くのがつらいと言います。

 这样哀怨的靡靡之音,苏轼的词在王菲的唱腔里让人听着难受。

 娟生はその後、自殺します。突然の死に、読者も戸惑います(あれ、言わなかったほうが良かったかもしれません)。
 安妮宝贝は毀誉褒貶の激しい作家の一人と言えるでしょう。陰鬱な作品が多く、青少年に悪い影響を与えると批判されることもあります。いわゆる文学青年や文学少女に愛好されています。ただ、その作品は無意味に重苦しいのではなく、いたずらに絶望を好んでいるわけではありません。生活を楽しむとはどういうことか、というのも彼女の問いの一つです。

  『素念锦时』より

 記憶とはこんなものではないだろうか。それは、川の流れのようなものではないだろうか。途切れることはないが、始めがあって、そして終わりがある。記憶が湧き出る泉は枯れることはない。始めがあり終わりがあり、根源は枯れることがない。

 故郷へは再び帰ることはできない。わたしのふるさとと家族の記憶は、父が不要の領収証や紙のたぐいを貯めこむのと同じようなものだ。もう再び生まれることはない文字の記録、映像のありか、感情の幻像なのだ。
 それらは、ただ存在するものなのだ。時が過ぎることで、互いの理解は深まり、互いが照らしあうことができる。そして、人の寂しさは増してゆくのだ。

 記憶はまた時に、むなしく定まらないものだ。まだらに交錯しているものなのだ。それは、わたしを故郷と子供時代にさかのぼらせる。でも、物はすでになく、人もいない。もう根っこは失われてしまったのだ。

 それは、大海にただよう動けなくなった廃船のようなもの。にぎやかで、はなやかだが、しだいに沈んでゆくものなのだ。ほんとうに、もう求める方法はないのだ。自分の家の表札は覚えているのに、当のその家はすでに壊されてなくなっているようなものなのだ。

 その時、ただ一つだけあるのは、真の記憶の虚空だけである。

西安方言


 西安には方言があるそうです。教えてもらったものをいくつかあげてみます。

 么事(mo2shi4)→標準語の「没事」と同じで、大丈夫、というような意味です。

 嘹咋咧 (liao2zha1lie1)→とってもいいという意味だそうです。

你(ni2)→標準語では三声で発音します。

 なお、方言ではありませんが、AA制という言葉があります。割り勘定という意味です。これはAlgebraic Average(代数平均)の略であるとか、オランダ商人の割り勘を皮肉をこめて呼んだ言葉(Acting Appointment)から来ているとか、「全部分开」(全部等しく割る)の形象表現である(全=A、分=A)とか、いろんな説があるようです。

肉夹馍と凉皮


  肉夹馍と面皮は西安の有名料理です。料理といっても軽食です。肉夹馍は馍というパンに牛肉と生姜を煮たものをはさんでたべます。凉皮は米皮と擀皮に分かれます。前者は米で作った柔らかい麺で、後者は小麦で作った固い麺です。この上に、旨みのある汁を少しかけます(酢と醤油となにかをまぜたもの)。よくかきまわしてたべます。

 凉皮は本当は唐辛子をかけるので、真っ赤な麺になりますが、わたしは辛すぎるものは苦手なのでかけません。陝西省の人は、辛くない食事、肉のない食事はとてもつまらないものと感じるそうです。

 肉夹馍はもともとは「肉夹于馍」と言ったそうです。肉を馍(パンのようなもの)にはさむ、という意味です。肉夹馍だと、肉が馍をはさむ、という意味になってしまい、本当はおかしいのです。

 それはそうと、中国を南北に分ければ北に位置する西安は、上記の料理を見ても、米文化の土地ではないことが分かります。先日、湖北省(南に位置します)の料理をたべましたが、もち米がおいしかったです。小麦も良いのですが、時折、おいしいお米が懐かしくなります。

无轨电车


 中国には、无轨电车というものがあります。軌道のない電車です。つまり、トロリーバスのことです。

 日本には、富山県の黒部ダム(石原裕次郎の映画『黒部の太陽』で有名なあのダムです)にトロリーバスが今も走っているそうです。昭和四十年代までは東京や京都などの各都市で走っていたそうです。排気がないので環境に良いし、他の車の邪魔にもならないし、なぜなくなってしまったのか分かりませんが、架線などの設備のいらない自動車の方が何かと「合理的」なのでしょう。

 中国では、北京、上海などいくつかの都市で、トロリーバスが走っています。中国名物だといってよいでしょう。

 西安にもトロリーバスが走っていました。つい2009年1月までです。

 西安では、現在、地下鉄の工事が進められています。目下、西安には一本の地下鉄もありません。地下鉄は2013年開業とのことですが、なにか外部の促進要因がない限り、もっとずるずると開業日は伸びそうです。

 この地下鉄工事の邪魔になるということで、トロリーバスは暂时停运(一時運休)ということになりました。数年後に復活の予定です。

 ただ、車輌はすでに古いものですし、数年放置した架線などの設備を復旧させる費用は馬鹿にならないでしょう。と言うことで、公式見解では「復活」なのですが、なくなる可能性が強いと思われます。

 触覚のようなものをふりふりと降りながら走っているトロリーバスの姿が結構好きだったのですが、当分見ることはなさそうで、残念です。ただ、地下鉄のためなら仕方がないかもしれません。西安のバスの慢性的な混雑が、地下鉄によってほんの少しは改善されると思うからです。

2009年4月4日土曜日

蒸汽机车


  中国語では蒸気機関車は蒸汽机车と言います。現在でも中国のあちこちで活躍しています。

 と言いましても、国鉄線からは2005年に姿を消しています。現在残っているのは、私鉄線用と工場の入れ替え用の二種類です。あまり数は多くはありません。ただし、中国は広い国ですので、あちらこちらにひっそりと残って、活動しているようです。


  2008年の北京オリンピックを前にして、政府は蒸気機関車全廃を宣言しました。蒸気機関車は急速に姿を消しています。そして、2008年の秋、政府は改めて蒸気機関車の全廃を指示したようですが、今なお、工場ではひそかに使っています。


 上の写真もその一つで、50輌もの貨車を牽引して西安市内を走っています。ただし、表向きは禁止されているものですから、写真を撮るととてもうるさいです。怒られます。中国では、鉄道施設は一応、軍事施設なので、駅などで列車の写真を撮ると駅員が制止してきます(ただし、駅員の気分によります)。


 なぜ、禁止されたのに、工場では蒸気機関車を内燃機車(ディーゼル機関車)に替えないかというと、単に工場に余裕がないからだそうです。なにしろ、ディーゼル車の値段は蒸気機関車の倍近くするそうなのです。


 中国でなぜ蒸気機関車がこんなに長く使われた(日本では、製造は60年前に停止、使用は30年前に停止)のかというと、石炭が豊富だったから、平坦な土地が多いから(日本は山ばかりで勾配が多い。蒸気機関車は勾配が苦手です)、人手はいくらでもあること(蒸気機関車は人手がかかる)など、さまざまな理由があるそうです。


 写真の蒸気機関車は、上游型と言いまして、古めかしく見えますが、なんと34歳くらいです。まだまだ若いです。上游型は南満洲鉄道のミカロ型をもとに1960年に設計された機関車で、1996年まで製造されました。つまり、まだ12歳の蒸気機関車もいるわけで、蒸気機関車は古いもの、という感覚のわたしから見ると、とても変な感じがします。


 西安で初めて、ぼろぼろの蒸気機関車が派手な音を立ててやってきたのを見た時は、とても驚きました。初めて見た、生きた蒸気機関車に感動すら覚えました(しゅうしゅうと息を吐いているようで、まるで生き物のように見えます)。なにしろ、子供の頃は『機関車トーマス』を愛読していたのですから。


 でも、頭の上に降って来た石炭のかすを払った時、二十年前の神戸で、動いている中国の蒸気機関車を見たことがあるのを思い出しました。その時も、髪の毛が石炭かすだらけになりました。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌではありませんが・・・


电影「活着」


 中国映画「活着」(生きている)をみました。監督は张艺谋(チャン・イーモウ)、主演は葛优、巩俐(鞏俐)です。1994年の映画です。

 映画は余华(現代中国の有名作家)の小説『活着』が原作で、1940年代から文化大革命後までの一家族の波乱に満ちた生活を描いたものです。主演の葛優は「非诚无扰」(2008年)の主演でもあり、喜劇俳優としてとても有名です。

 映画には〈皮影〉が登場します。皮影とは影絵のことで、牛の皮で作った人形を操って、その後ろから光を照らし、幕に人形の影を映します。インドネシアにもワヤンという似たような影絵があります。陝西省が発祥の地です。

 この映画は、公開後すぐに映画館での放映は禁止になりました。文化大革命の悲劇を存分に描いているからでしょう。ただ、現在は政府が禁止してもインターネットで簡単に見られますから、ある意味、良い時代になりました。十年以上前の映画ですが、多くの若者がこの映画を見ているようです。

 また、禁止の理由は、この映画の悲惨さにもあるでしょう。次から次へと襲い来る悲劇に、見ていてつらくなるほどです。文化大革命の悲劇を描いた映画はいろいろありますが、今思いつくのは『霸王别姬』に、『末代皇帝』です(後者は、文革については浅くしか描いていない『The Last Emperor』ではありません。中国製作の映画です)。

 文化大革命の悲劇の傷痕は、もはや表面に出ることはあまりありませんが、いまなお消えずに残っているものです。香港のテレビ局が被害者の親族からインタビューをとった番組を制作していますし、文化大革命の具体的な惨事を記録した本もありますが、日中戦争の悲劇と同じく、大多数の悲劇は当事者の心の痛みにとどまって消え去ってゆくものなのでしょう。したがって、こういった映画を藉りて思いを致すことには大きな意味があると思います。

櫻花爛漫



  • 西安は目下、桜花爛漫です。おそらく、気温も日本より暖かいと思います。

  • 中国には迎春花というものがあります。日本語で黄梅と言うそうですが、木犀の仲間のようです。中国では、桜より迎春花を見るほうが春が来たという感じがします。

  • 李香蘭の歌で「迎春花」というものがあります。とても美しい歌です。なお、鄧麗君の歌にも「迎春花」があります。こちらは新春の到来を喜ぶにぎやかな曲です。

  • 中国でも桜がみられるのは嬉しいのですが、日本で見る桜とはやはり違う感じがします。